【激動】強くしなやかに躍進<ユニテックシステムの35年>

なびー
ユニテックシステムは、創立35周年を迎えましたね!
渡辺
こんにちは、代表の渡辺です。
当社は、おかげさまで35周年を迎えることができました。
今日は、この35年間をみなさんと一緒に振り返ってみたいと思います。

【1986年】ユニテックシステムの誕生

<1986年>ユニテックシステム株式会社の設立当初 社長の渡辺

日本経済は活力にあふれ、 バブル景気の絶頂を迎えようとしていた1986年。のちに、人材派遣管理システムシェアNo.1※のメーカーとなる企業が誕生しようとしていました。

※ゼネラルリサーチ(株)調べ

渡辺:
私は、高校卒業後、システムハウス(現:アドソル日進)に初の営業職として入社し、営業部門を新たに発足しました。システム販売、受託開発、ハード関連の物流などを手掛け、IT企業のノウハウを習得。

入社して5年経った時のことです。

その頃、会社は安定期に入り、物足りなさを感じていました。自分で独立して新たなことにチャレンジしたい意識が強くなり、模索していたところ、当時の仕入先の電子部品販売会社の専務でもあった木下氏と出会い、ソフトとハードを融合した会社を作るきっかけになりました。

ユニテックシステムの由来は、「テクノロジー(技術)をユニオン(融合)させる」です。ソフトウェアとハードウェアを融合したすばらしい技術・サービスを世の中に提供する、そんな想いを込めて命名しました。

昭和61年10月に資本金500万円をもって、東京都千代田区岩本町の10坪の事務所で2人で発足。当時は、パソコンもなく、デスクに固定電話とメモ帳を置いただけの事務所でした。何もない事務所で木下氏と私の2人きり。全くのゼロからのスタートです。私が26歳の時のことでした。

【1980年代後半】受託開発時代

<1992年>文京区の湯島不二ビルにて

ビジネス向けのパソコンが出現し、企業や家庭にワープロが普及した1980年代後半。ユニテックシステムは、どのような事業をしていたのでしょうか。

渡辺:
当時は、受託開発の仕事が中心でした。1980年代のコンピュータは、大型コンピュータが主流で、企業などの巨大な組織の給与計算や事務処理、銀行のオンライン決済の役割を担っていました。当時のユニテックシステムでは、その大型コンピュータで使わていた、BASICというプログラミング言語を、PC-9801(日本電気のパーソナルコンピュータ)向けのコードに言語変換するソフト「むすび」を開発・提供していましたね。

1989年には、ハードウェア事業部が発足します。データチャネルデコード基板/デジタル音声基板/オーブンコントローラボードなどを受託開発し、多くの企業に納入して参りました。特に印象深かったのは、大規模音響制御ソフトウェアの開発の仕事ですね。

音響制御ソフトウェアとは、音響制御装置とPCをネットワークで接続し、音響制御装置から会場の各スピーカーにオーディオデータを再生するためのソフトウェアです。

全国各地のコンサートホールやスタジアム、巨大テーマパークにおけるアトラクションの音響制御を当社のソフトウェアが担いました。深夜に東京を出発し、軽トラックで 巨大な音響システムユニット を運びます。現地に着いたらソフトウェアと音響装置を調整。体力的には、とても大変でしたが現場の熱気を感じることができ、とてもやりがいがありました。この大きなイベントに関わることができて、とてもうれしかったです。

ただ、当時は、みんないつも納期に追われていて忙しかったです。今だから言えるのですが、プログラマーが会社に泊まり込んで、お酒を飲みながら深夜まで作業することもありましたね。オフィスはタバコの煙でいつも曇っていました(汗)。現在は、もちろん禁煙&禁酒ですよ(笑)

【1990年代前半】バブル崩壊<ユニテックシステムに訪れた氷河期>

1991年に始まったバブル崩壊。その後、日本の景気後退は数年間に及ぶ。

90年代に入るとバブルが崩壊し、日本は「失われた10年」と呼ばれる長期不況に入りました。ユニテックシステムにもバブル崩壊の暗い影が押し寄せます。当時は、単発の受託開発に頼っていたユニテックシステムとしては、不景気で仕事が取れなくなったことは死活問題でした。その影響は、1992年~1996年頃まで長期にわたって続きます。

渡辺:
実は、「もうダメかも。。」という危機的状況にまで落ち込むことがありました。設立以来の本当のピンチです。バブル崩壊は、一度にすべてが崩壊した訳でなく、最初に来たのは不動産でした。その次にゼネコン、金融というように2年間隔くらいでそれぞれの業種が傾いていきました。

冷え込んだ業界はたくさんありましたが、幸いなことに、当社は取引企業をひとつの業界だけにを絞り込んではなかったことと、その途中にドットコムバブルが海外で起き、我々の業界はいわゆる ITバブル に助けられた部分もあると思います。

当時、わたしも色々な取引先にお願いをしたり、駆け回って仕事を取って来ていました。納期が重なって、夜遅くまでみんなで残業することもありました。あの正念場で踏ん張れたからこそ、今のユニテックシステムがあると思います。ねばり強く取り組んでくれたあの頃のメンバーに感謝ですね。

【2001年】受託開発からメーカーへ<スタッフナビゲーター販売開始>

2001年に販売開始した人材派遣管理システム「スタッフナビゲーター」<当時のパッケージ>

1995年に販売開始されたMicrosoftの「Windows95」は爆発的なヒットとなり、それをきっかけに日本でもパソコンが普及していきます。同時期に普及したインターネットの影響もあり、ビジネスでのパソコンの普及が、急速に進んでいきました。2000年を迎える頃には、企業のパソコン普及率は8割を超えました。IT技術が急速に進化した日本で、ユニテックシステムはどのように変化していったのでしょうか。

渡辺:
当社のターニングポイントとなったのは、人材派遣管理システム「スタッフナビゲーター」「キャスティングナビ」を開発したことですね。設立してから数年、受託開発を中心に行ってきたわけですが、やはり「自社開発製品を持ちたい(メーカーとなりたい)」という声が、社内に強くありました。

そんなとき、ある派遣会社から「人材派遣管理システムは作れないの?」と問い合わせがありました。それをきっかけに、当社は人材派遣管理システムの開発に乗り出します。1999年のことでした。

当時は、既に他社が販売している人材派遣管理システムがありましたが、それはMS-DOS(ドス)と言われるマイクロソフトの初期OSで動くシステムでした。真っ黒な画面に英語が並んでいて、直接コマンドを打たないと使えません。一般の方にはとても使いずらいシステムだったと思います。

我々は、文京区湯島にある15坪の小さなオフィスで、昼夜プログラミングに没頭しました。WindowsXPのインターフェースに対応した、人材派遣管理システム「スタッフナビゲーター」は約2年で完成。「スタッフナビゲーター」 は当時から、スタッフ登録、クライアント登録、受注、給与、請求など、人材派遣会社が必要とする一連の業務ができる機能を搭載していました。「ゼロから製品を作り上げる」その楽しさは、今のユニテックシステムに通じていると思います。

キャスティングナビ
2004年に販売開始した業務請負&人材派遣管理システム「キャスティングナビ」<当時のパッケージ>

渡辺:
2001年に販売を開始した人材派遣管理システム「スタッフナビゲーター」は、2006年には導入社数300社を突破。次いで、業務請負と日単位の仕事に特化した「キャスティングナビ」も販売を開始します。ユニテックシステムは、5期連続増収増益を達成し、順調に業績を伸ばしていきます。2006年には、事業拡大のため、本社を台東区上野のうさぎやビルに移転しました。フロアは3倍となり、この時の社員は約20名となっていました。

「スタッフナビゲーター」 の好調な売れ行きは、当時の時代背景も後押ししたと思います。

ひとつは、小泉政権において派遣期間の「上限の延長 (それまでの1年から3年へ) 」 や 「製造業への派遣労働の解禁」 がなされ、派遣の市場が拡大したタイミングでもありました。

また、企業や家庭へパソコンの普及が広がった時代でもありました。それまでに大量の紙をキングファイルで綴じるような、紙ベースでの業務を行っていた派遣会社にとって、一発検索でスタッフの情報が見られる「人材派遣管理システム」というものは、画期的だったと思います。

販売経路を拡大したことや、企業としての姿勢も上手くいく要因だったと思います。

当初は、開発ばかりに集中してしまい、営業に割く時間が少なくなっていました。しかし、良い販売代理店との提携ができたことで一気に販売経路が拡大。売上がアップしました。

また、同時に自社での営業にも力を入れ始めました。Web引合があれば、数分以内にお客様へ電話をかけ、アポイントを取っていましたね。お客様の要望を吸い上げてすぐに機能搭載するといった小回りが利くことも好評で、迅速な対応を評価していただくことも多かったです。とにかく「スピード」を大切にしていました。これは今日まで続く、ユニテックシステムのスピリットですね。

その甲斐もあって、ユーザーの派遣会社様から「スタッフナビゲーター」「キャスティングナビ」を他社様へご紹介いただくことが増え、派遣業界において口コミで広がったことも大きな成功要因でした。

このように、華々しい発展を遂げたユニテックシステムですが、この頃は、創業メンバーが次々と辞めてしまった時期でもありました。会社が急発展したことで、社内での意見の食い違いが起こり、着地点が見つからず辞めてしまう。私としては、どうしようもなく悲しかったです。

【2008年】リーマンショックで得た教訓をもとにさらに強固な収益体制へ

<2015年>創立30周年記念パーティー

2008年のリーマンショックによる極めて大きい経済収縮により、経済情勢は急速に悪化しました。一方で、Appleの「iPhone」が日本で発売され、「Facebook」や「Twitter」などがサービスを開始。急速にスマホの普及が進むことになります。情報ネットワークが加速した社会で、ユニテックシステムはどのような進化を遂げたのでしょうか。

渡辺:
2度目の危機は、リーマンショックでした。この時は、社内に設置していたウォーターサーバーやレンタル観葉植物を撤収したり、紙の裏も使ったり、あらゆる経費削減を試みました。固定費を下げるために引っ越しも検討しましたね。

なんとかこの危機を乗り越えた我々は、この教訓を活かし、2009年には「Stock de Happy」を掲げます。 「Stock de Happy」 とは、固定費に対してのストック収入の割合を増やすという社内スローガンです。固定費をすべてストック収入でまかない、生まれたリソースで人材派遣管理システム「スタッフナビゲーター」「キャスティングナビ」の機能拡充やサービスの充実にあてることが目的です。2022年現在、この目標は100%達成できています。

お客様が、システム選びの際に意外にも見落とされがちなのが「そのメーカーの存続性」です。万が一、メーカーが倒産すると機能アップデートはもちろん、不具合の際の対応サポートが受けられず、普段の業務に支障をきたしてしまいます。

メーカーの私たちが安定経営をして従業員が「Happy」になることは、そのままお客様の「安心」へとつながります。

<2014年>ミャンマーにて 開発オフショア拠点としてUTS Myanmar Co.,Ltd.設立

渡辺:
業務拡大にともない、2014年にはミャンマーにオフショア開発※拠点を設立しました。日本で開発している製品(人材サービス系パッケージソフト)のカスタマイズや、法改正対応などを受託開発しております。

※オフショア開発…ソフトウェアなどの開発業務を海外の企業やリソースを活用して行う委託開発

「UTSミャンマー」を設立したきっかけは、ミャンマー視察ツアーに私が参加したことにあります。現地でミャンマーの方の仕事に対する熱心さや情熱、勤勉な人柄に触れ、その場で進出を決意しました。

現在、ミャンマーではITが発展途上にあります。そこに、日本企業が進出し、私たちが持ち合わせている技術スキルやノウハウを共有することで、 ミャンマーの情報サービス業の技術向上・市場拡大に貢献できると考えております。

【2018年】モニター調査において人材派遣管理システムの4冠を達成

渡辺:
2018年には、国内最大級のモニター調査機関ゼネラルリサーチ株式会社によるアンケート調査で、4冠を達成しました!

・顧客満足度の高い 人材派遣管理システム       1位
・価格満足度の高い 人材派遣管理システム       1位
・人材派遣会社が選ぶオススメの 人材派遣管理システム 1位
・シェア率の高い 人材派遣管理システム        1位

2022年現在、人材派遣管理システム「スタッフナビゲーター」「キャスティングナビ」を主力とするNaviシリーズの累計導入者数は、2700社を突破しました。

<2018年>東京本社  営業&サポートのフロア
<2018年>東京本社 サポートセンターの様子

渡辺:
サポート部門は、東京本社/大阪支店合わせて、合計約20名の社員で構成されています。その9割以上が女性で、産休・育休を経て10年以上に渡って仕事を続けている社員も多くいます。ユーザー企業様の保守サービスの継続加入率は、驚異の97.5%です!

<2018年>東京本社 開発部門のフロア

ユニテックシステムには、約40名のプログラマーが在籍しています。要件定義、設計、プログラミングから各種テスト、保守まですべて自社内で行っています。

<2019年>ユニテックシステム 大阪支店 で渡辺社長の誕生日をサプライズお祝い

渡辺:
ユニテックシステムは、東京本社/大阪支店/福岡支店と全国で3拠点あります。テレワークになったことで、逆に拠点間の壁がなくなり、物理的に離れていてもスムーズなコミュニケーションが取れています。忘年会や季節の行事では、各拠点間や在宅社員、全員がオンラインで集まりビンゴ大会をしていますよ。 

【2022年】ユニテックシステムはチャレンジし続けます

渡辺:
1986年2人で始めたユニテックシステムは、2022年現在、社員約90名の会社へと成長しました。これも全国でご愛顧いただいているお客さまはじめ、全社員の努力の賜物と感じています。

コロナ禍において、働き方や社会は大きく変化しました。当社もその例外ではありません。

最初の緊急事態宣言が出たとき、当社は既にテレワークに移行途中というスピード感でした。ダーウィンの言葉に、「生き残る種とは、変化に最もよく適応したものである」という有名なものがあります。ユニテックシステムが歩んだ35年間は、激動の時代でした。1980年後期の華やかなバブル経済から、バブル崩壊。平成のIT黎明期を駆け抜け、リーマンショックを乗り越えてきました。その背景には、やはり「時代の変化にスピード感をもって適応する」というスピリットが、私たちに息づいていたからだと思います。

私は社員によく「失敗してもいいからチャレンジしてみて。」と言っています。「チャレンジしてみよう」というその気持ちこそが、すべてを生み出す第一歩だと考えているからです。

凝り固まらず、強くしなやかに。

新しい事にチャレンジし続ける姿勢を大切に、私たちは、今後も全力で良い製品・良いサービスを提供できるよう取り組んで参ります。最後までお読みいただき、ありがとうございました。